「日本のインポーターに勤めていた1990年代初頭、銀座吉兆でのプロモーションを提案したら、上司のKさんから『日本料理店でシャンパンは売れないからやめてくれ』といわれた」
オリヴィエ・クリュッグ
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歴史
クリュッグ社は1843年、ドイツ西部にあるマインツ出身のヨーゼフ・クリュッグによって設立されました。マインツはラインガウとプファルツのワイン集散地であり、クプファーベルク社のスパークリングワインでも有名ですが、ヨーゼフは肉屋の息子として生まれました。彼は1820年代から1830年代にかけてパリで帳簿係として働いた後、シャロン・シュール・マルヌのシャンパン・メーカーであるジャクソン社で会計士の職を得ます。8年間の在籍期間中、彼は帳簿の仕事に飽き足らず、原料ワイン生産農家との折衝やシャンパンの販売、果てにはシャンパンのブレンドも経験します。ヨーゼフは語学堪能で、ドイツ語やフランス語だけでなく、英語やロシア語も話せたため、クリュッグ社設立後は輸出市場に心血を注ぎました。
1866年にヨーゼフが亡くなった後、跡を継いだのは息子のポール・クリュッグで、彼は当時最大の輸出市場であったイギリスで、高級シャンパンとしてのクリュッグの地位を確立します。その後クリュッグ社はヨーゼフ・クリュッグ二世、ポール・クリュッグ二世へと引き継がれ、1960年代にはアンリ・クリュッグとレミ・クリュッグ兄弟が経営のカギを握ります。アンリとレミの兄弟は生産やマーケティングで大胆な革新を推し進め、1971年にはル・メニル・シュール・オジェ村の中心に位置する1.85ヘクタールの石垣に囲まれたシャルドネの畑、クロ・デュ・メニルを購入します。1986年に発売されたクリュッグ クロ・デュ・メニル 1979年が商業的な成功を収めると、クリュッグ兄弟はピノ・ノワールにも同様の可能性があることを確信し、1994年にアンボネイ村の0.68ヘクタールの畑クロ・ダンボネイを購入します。クリュッグ クロ・ダンボネイのファースト・ヴィンテージは1995年で、収穫から12年後の2007年に発売されました。クロ・ダンボネイが世界的に1本50万円程度の信じがたい高価格で小売りされているのを目撃した他のシャンパン・メーカーは、「クロのシャンパン」のビジネス上の可能性を理解したようで、2001年時点で12しかなかった「クロ」を名乗るシャンパンが、現在では40銘柄弱流通しています。
クリュッグ社は1990年代初頭からレミー・コアントロー社と業務提携し、1994年には同社の傘下に入ったのですが、コニャック・レミー・マルタンの販売不振に直面した同社はキャッシュ・フロー改善のために1999年、クリュッグ社を世界最大級のコングロマリットであり、ドン・ペリニョンやヴーヴ・クリコ、ルイナールといった高級シャンパン銘柄を擁するLVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン社に10億フラン(当時の為替レートで203億円)で売却します。このオーナーの変更はクリュッグ社にとって吉報で、これ以降、クリュッグはLVMHが所有する数多くのシャンパン銘柄の頂点として、潤沢な資金を用いたブランド・ビジネスを展開することが可能になりました。2009年、アンリとレミ兄弟の引退に伴い、アンリの息子のオリヴィエ・クリュッグが当主に着任します。彼は1990年2月から1992年3月まで、当時クリュッグの輸入代理店であったレミー・ジャポン(のちのマキシアム・ジャパン)社で日本における黎明期のシャンパン・ビジネスを経験しており、現在でも年に2~3回は来日する親日家です。
原料ブドウと醸造
単一ブドウ品種から醸造されるクロ・デュ・メニルとクロ・ダンボネイを除き、クリュッグ社ではシャンパーニュの主要な3品種であるシャルドネとピノ・ノワール、ピノ・ムニエのすべてを使用しています。ピノ・ムニエは一般に質の劣るブドウ品種とみなされ、ピノ・ノワールが完熟できない寒冷な畑で栽培される「増量剤」と考えられており、実際にドン・ペリニョンやクリスタルといった多くのプレスティージ・キュヴェにはブレンドされていないのですが、クリュッグ社では「シャンパーニュに豊かな果実味を与える必須な品種」としています。
クリュッグ社では年間生産量42,000ケースの30%程度を自社畑から賄っており、20ヘクタールの所有畑はアンボネイやアイ、ル・メニル・シュール・オジェ、トレパイユに広がっています。残りの70%のブドウは長期契約により、約100名の栽培農家が耕作する250の区画から購入しています。
クリュッグ社の醸造上の特徴は、一次発酵をすべて畑の区画ごとに、容量205リットルのアルゴンヌ産オークの小樽で行いつつ、マロラクティック発酵を避けることです。アルコール発酵を古いバリックで行うことにより、過剰なオークのニュアンスを避ける一方でワインに微量の酸素が供給され、味わいに奥行きが生まれます。また、マロラクティック発酵を回避することによってフレッシュな酸を保持し、長期熟成が可能になります。
収穫後の12月から1月にかけて、小樽内での一次発酵が終わったワインは小容量のステンレス容器に移され、試飲によって、その年に瓶詰めする分のベースワインとするか、または後年のグランド・キュヴェやロゼ用のリザーヴワインとするかを決めます。ベースワインは収穫後30週でブレンドを行い、スティルワインに糖と酵母を溶かした「仕込みのリキュール」を加えて瓶詰めし、二次発酵および長いシュール・ラット熟成を地下セラーで行います。
銘柄
クリュッグ社からは現在、「グランド・キュヴェ」と「ロゼ」、「ヴィンテージ」およびそのレイト・リリースの「コレクション」、「クロ・デュ・メニル」と「クロ・ダンボネイ」の6種のシャンパンが出荷されています。シャルドネ100%から醸造されるクロ・デュ・メニルはサロン同様、リリース直後は酸味が際立ち、シンプルな味わいなのですが、出荷後10年以上のボトル熟成でメイラード反応に由来する香ばしい風味が充満し、トーストに塗ったアカシアのハチミツを思わせる、複雑な味わいに発展します。
私がもっとも愛してやまないのは一番下のクラスのグランド・キュヴェで、10以上の異なるヴィンテージの120を超える原酒がブレンドされています。グランド・キュヴェは二次発酵後、6年間以上のシュール・ラット熟成を経てから出荷されています。クリュッグ社では2010年代から、グランド・キュヴェのブレンド・ナンバーを表ラベルに記載するようになっており、現在出荷されているのは171ème Édition(ブレンド171番)です。裏ラベルには6桁のiD番号が印字されてあり、その番号をクリュッグ社のサイトで打ち込むと、当該ボトルの詳細な情報を閲覧できます。171ème Éditionの場合は「2015年ヴィンテージをベースとしたブレンドで、ブドウ品種の構成はピノ・ノワール45%、シャルドネ37%、ピノ・ムニエ18%、デゴルジュマンは2021年の冬から2022年にかけて行われた」と表示されます。グランド・キュヴェのリザーヴワイン比率はベースワインの品質により、35~50%とされています。ドザージュの段階で1リットルあたり6グラム程度の糖が添加されており、リリース直後に飲むとドザージュがワインによく馴染んでいない印象を受けることがあるため、私は出荷後5~7年ほどセラーで熟成させてから楽しんでいます。熟れた柑橘の香りがメイラード反応に由来するトースティーなニュアンスと相まって、素晴らしい香味に発展します。
2023年9月末にランスのクリュッグ本社を訪問したときに、世紀の収穫年となった2008年のクリュッグ・ヴィンテージと、2008年のワインがベースとなったグランド・キュヴェ164ème Édition を試飲させていただきました。どちらも素晴らしいシャンパンなのですが、ヴィンテージ2008年のデゴルジュマンが2020年に行われた一方、164ème Éditionのオリ抜きは2016年であったため、グランド・キュヴェの方がより熟成感を発展させていて色調も濃く、複雑な香味を楽しむことができました。2008年のような偉大なヴィンテージでは少し違うのかもしれませんが、通常私は力強いクリュッグ・ヴィンテージよりも、つなぎ目のない、調和の取れたグランド・キュヴェの方が好みです。クリュッグ・ヴィンテージとグランド・キュヴェの香味の違いは、スコッチ・ウイスキーのシングルモルトとブレンデッドの関係に似ています。
今日、寿司店に代表される多くの日本料理店でシャンパンが大量に消費されていますが、その源流にオリヴィエ・クリュッグ氏が1990年代初頭に実施したプロモーションがあり、彼の先見の明を感じます。特に、日本料理界の最高峰である銀座吉兆から始めたのは、ブランド・ビジネスを知り抜いた彼のこだわりがあったのだと思います。Kさんと同様に私も当時、「日本料理店でクリュッグが飲まれる日は永遠に来ない」と考えていました。