バローロとバルバレスコはブルネッロ・ディ・モンタルチーノと並び、イタリアを代表するワインです。ブルネッロに用いられるサンジョヴェーゼが68,000ヘクタール(ha)というイタリア最大の栽培面積を誇るブドウ品種である一方、バローロとバルバレスコに用いられるネッビオーロは5,500haにすぎず、その80%以上がピエモンテ州に集中しています。また、その主要栽培地であるピエモンテ州においても、ネッビオーロのワインは総生産量の3%にすぎません。DOCGバローロとバルバレスコのブドウ栽培面積は2,000haで、ボルドーのACマルゴーよりも少し広い程度です。
ネッビオーロ
北西イタリア、ピエモンテ州のアルバの町の南でつくられるバローロはイタリアを代表する重厚な赤ワインで、古くから「王のワインであり、ワインの王である」とされてきました。バローロの伝統的な個性は、強い酸味と過剰なほどのタンニン分、そして酸化的ワイン醸造に由来するけもの獣やなめし鞣革のような香りで、先天的に誰もが好きになれるタイプのワインではなく、飲み続けるにしたがって忘れられなくなる、後天的なものでした。これらの個性に大きな影響を与えていたのはブドウ品種と醸造方法で、晩熟で酸度が高く、タンニン分豊かなネッビオーロなくしてはバローロの個性は存在せず、また、かつてワイン法によって最低3年間の樽熟成が義務づけられていたために、ワインは出荷された段階ですでに熟成を示唆するレンガ色の色調をたたえていました。
※地図 バローロとバルバレスコ (出典 Consorzio di Titela Barolo Barbaresco Alba Langhe e Roero)
ネッビオーロがピノ・ノワールと同様に栽培の非常に難しい、デリケートなブドウ品種であり、特に10月に入ってからやっと収穫が始まるような晩熟型であるために、この品種の栽培に適した畑は非常に限られ、現在においてもピエモンテ州周辺以外ではほとんど栽培されていません。ピノ・ノワールと同じく、ネッビオーロは突然変異を起こしやすい品種で、現在は約40のクローンが同定されています。これらは慣習的に、ランピア(Lampia)、ミケ(Michet)、ロゼ(Rosé)に大別されており、ランピアは安定した収穫が得られる、もっとも広範に栽培されているクローン群です。ミケはファンリーフ・ウイルスに侵されたランピアで、強い芳香をもつ最高品質のワインとなりますが、土壌との相性が難しく、栽培困難なクローンです。優良な生産者は、ランピアとミケを栽培に用いています。3番目のロゼはランピアやミケとは遺伝子構成が異なり、色素が薄いため、バローロやバルバレスコの畑から消滅しつつあります。
バルバレスコ
アルバの町を挟んでバローロの北東20kmに広がるバルバレスコは長い間、バローロの弟分と認識されてきました。「格下」と考えられていた背景には、バローロよりも産地としての規模が小さいことや、ブドウの成熟度が低いことが挙げられていました。実際に、DOCGバルバレスコの栽培面積はバローロの3分の1にすぎませんし、ワイン法上のバローロの最低アルコール度数が13.0%と定められている一方、バルバレスコは12.5%になっています。この最低アルコール度数が低い理由は、リグリアアルプスの雪解け水に源を発してアルバの街中を流れる冷たいタナロ川が、バルバレスコではブドウ畑のすぐそばを通り、畑を冷やすためとされています。
このアルコール度数の低さのため、バルバレスコはバローロに比べてやや軽くエレガントなスタイルになりがちで、結果としてワイン法で必須とされている熟成期間も短くなっています。具体的には、バローロが収穫の翌年の1月1日から数えて出荷までに最低3年間(うち18カ月間は木樽内)熟成させなければならない一方、バルバレスコは2年間(同9カ月)となっています。
ワイン法上のDOCGバルバレスコの域内には、バルバレスコ(Barbaresco)とネイヴェ(Neive)、トレイゾ(Treiso)の、3つの行政上の村(コムーネ)があります。もっとも高品質でバランスの取れたワインがつくられているのが、DOCG名の発祥となった粘土石灰岩土壌のバルバレスコ村で、著名な畑にはアジリ(Asili)やラバヤ(Rabajà)、モンテステファノ(Montestefano)などがあります。バルバレスコ村から3km東にあるネイヴェ村は、畑の位置によってワインのスタイルが異なり、バルバレスコ村に近い北西部では酒質のしっかりとしたワインがつくられる一方、土壌に砂の多い南東部ではやや軽いスタイルとなります。著名な畑としては北西部のサント・ステファノ(Santo Stefano)やガッリーナ(Gallina)などが挙げられます。トレイゾ村のブドウ畑は標高の高い位置にあり、DOCGバルバレスコのなかではもっとも冷涼で、軽いスタイルのワインが生まれています。
バルバレスコは長い間、バローロよりも質が劣ると考えられてきたのですが、1960年代以降、このイメージは払拭されます。この変革に大きな役割を果たしたのが、アンジェロ・ガヤとブルーノ・ジャコーザでした。
ガヤ
カンティーナ・ガヤ・バルバレスコは、バルバレスコ村の中心にひっそりと佇んでいます。門をくぐると大きな中庭があり、地上階と地下がセラーになっています。アンジェロ・ガヤは1994年、道を挟んだ向かい側の城(カステッロ)を購入し、ジャーナリストや流通関係者の試飲やレセプションに使うようになりました。
※アンジェロ・ガヤと娘のガイア
※ガヤのカステッロからタナロ川越しにアルプスを望む
カステッロとカンティーナは地下で繋がっており、斜面に建設されたワイナリーには重力移動システム(グラヴィティ・フロー)が採用されています。ガヤ社はバルバレスコとバローロ以外にも、モンタルチーノやボルゲリ、シチリアやアルタ・ランゲに畑を所有していますが、ピエモンテのワインはすべてバルバレスコ村のカンティーナで醸造されます。
※ガヤの熟成用大樽とバリック
ピエモンテにおけるガヤ家の歴史は、スペインのカタルーニャ地方から移住してレストランをオープンした1859年に始まります。その後ワイン販売に乗り出したところ、売れ行きが良かったため、1904年にはレストランを閉めてワイン生産に専念します。量に走るのではなく、品質を追求する姿勢は2代目世代のクロティルデ・レイに始まり、彼女の孫の4代目のアンジェロ・ガヤ(1940 -)の時代になると、1964年に著名な単一畑のソリ・サン・ロレンツォ(Sorì San Lorenzo)をアルバの教会から購入し、さらに1970年にソリ・ティルディン(Sorì Tìldin)、1978年にコスタ・ルッシ(Costa Russi)を取得します。アンジェロはブルゴーニュにおけるグラン・クリュのように、これら3つの畑のワインをブレンドすることなく、単一畑産バルバレスコとして瓶詰めし、世界的な脚光を浴びました。これらは長い間、並外れた高額で小売りされる唯一無二のイタリアワインでした。
バローロやバルバレスコでは伝統的に、生産者は複数の畑のワインをブレンドして、一種類の銘柄のみを販売していました。単一畑産のバローロやバルバレスコが市場に現れたのは1960年代のことで、バローロにおいては1961年にプルノット社がブッシアの畑から、またヴィエッティ社がロッケ・ディ・カスティリオーネから醸造しています。バルバレスコにおいては1964年にブルーノ・ジャコーザがサント・ステファノを、ガヤは1967年にソリ・サン・ロレンツォをリリースしています。ガヤの銘柄は史上初の単一畑産ワインではなかったのですが、アンジェロ・ガヤの強烈な個性と営業力のおかげで、長らく孤高の存在であり続けました。
色素の乏しいネッビオーロから醸造される赤ワインは色の薄いものになりがちなため、ピエモンテでは伝統的に、ネッビオーロの畑に少量のローカル品種が混植されてきており、ガヤのソリ・サン・ロレンツォやソリ・ティルディンにも5%程度のバルベラが、ワインの色調を改善する目的で混植されていました。1990年代に入って、コンソルツィオ(生産者組合)が「バルバレスコは100%ネッビオーロでなければならない」と厳格化すると、アンジェロ・ガヤは組合と対立し、やむなく1996年ヴィンテージから3つの単一畑産バルバレスコをDOCランゲに格下げして瓶詰めしました。バルバレスコでもっとも有名な3つのワインがDOCGバルバレスコでなくなるのは、バルバレスコの生産者全体にとっても大きな損失であったのですが、ガヤ家の当主が娘のガイアに引き継がれた機会に、2013年ヴィンテージから100%ネッビオーロのワインに改め、再び3つの単一畑産ワインをDOCGバルバレスコに戻しています。ガイア・ガヤは、「地球温暖化によってネッビオーロが安定して熟すようになったため、もうバルベラをブレンドする必要はない」としています。
バローロやバルバレスコの醸造について語られる際には、1カ月に及ぶような果皮のマセレーションを行う伝統派か、ロータリー・ファーメンターを用いてたった2~4日間で抽出を終えてしまう急進的なバローロ・ボーイズか、といった二項対立で語られることが多いですが、ガヤはその中間の改革派で、ワイン醸造はボルドーのトップ・シャトーに似ています。3週間程度のマセレーションの後、フレンチオークの小樽で12ヶ月熟成させ、その後スラヴォニアンオークの大樽で12ヶ月間追熟します。ワインはネッビオーロの個性とされる萎れたバラやタールの香りをあまり感じさせない、洗練された香味で、ブラインドで試飲するとボルドーと間違えることがあります。
※バルバレスコ アジリの畑(出典 Bruno Giacosa)
ブルーノ・ジャコーザ
ブルーノ・ジャコーザはジャコモ・コンテルノと並び、バローロおよびバルバレスコの伝統的生産者の筆頭格です。カンティーナはネイヴェの町中にあり、2016年、古いワイナリーから道を挟んだ向かい側に、現代美術館のような、斬新なデザインの新しいワイナリーが完成しました。
※カンティーナ・ブルーノ・ジャコーザ
ブルーノ・ジャコーザは1929年、ネイヴェのブドウ取引仲介業者兼ワイン生産者の家に生まれ、13歳から家業を手伝うようになりました。長らく、醸造したワインはバルクで売却していたのですが、1961年から自社で瓶詰めを行うようになりました。ブドウのブローカーをしていた関係で多くの農家と知り合い、誰が高品質のネッビオーロを栽培しているかを熟知していたため、ジャコーザのワインは評判を呼び、1960年代にはすでにガヤや協同組合のプロドゥットーリ・デル・バルバレスコと並ぶ、バルバレスコの主要な生産者と目されていました。また、ジャコーザはヴィエッティとともに、ローカル品種のアルネイスを絶滅から救った生産者で、1970年代にこのブドウ品種から白ワインを醸造していたのは、この2社のみでした。
ブルーノ・ジャコーザは品質に強いこだわりをもち、出来上がったワインが彼の基準に満たない場合は、バルクで売却しました。例えば、2010年は一般に良作年と考えられているのですが、ブルーノ・ジャコーザはバルバレスコとバローロの質に満足せず、自社で瓶詰めすることなく、すべてバルクで売却しました。同様のことは、やはり良作年とされる2006年ヴィンテージでも起こっています。自社で瓶詰めをせずにバルクで売却するのは利益の劇的な減少となりますし、他の生産者は通常通りに出荷しているため、顧客を失ってしまうリスクがあります。寡黙で頑固なブルーノ・ジャコーザは2018年に亡くなり、娘のブルーナが当主を継承しました。
※ブルーノ・ジャコーザのアルコール発酵用大樽
現在のブルーノ・ジャコーザ社は20haのブドウ畑を所有し、年間40万本のワインを生産しています。ブルーノ・ジャコーザをバローロとバルバレスコの頂点に押し上げたのは、最優良年にのみ瓶詰めされる赤ラベルのリゼルヴァで、もっとも有名なのは1964年から2011年ヴィンテージまで瓶詰めされていたバルバレスコ サント・ステファノ・ディ・ネイヴェでした。この畑は自社畑ではなく、カステッロ・ディ・ネイヴェの所有なのですが、ブルーノ・ジャコーザ社が最上級のワインに関しては自社畑のブドウのみを用いるという方針転換をしたため、2012年以降は瓶詰めされなくなりました。現在瓶詰めされている赤ラベルのリゼルヴァは、バルバレスコのアジリとバローロのレ・ロッケ・デル・ファレットの2種類のみです。
1980年代からブルゴーニュで起こったように、バルバレスコにおいても1990年代になってブドウ栽培農家がこぞってワイン醸造に乗り出すようになり、栽培者元詰めワインの潮流が始まると、ジャコーザはそれまでのブドウ供給農家を失うこととなりました。1980年代末のラルー・ビーズ=ルロワと同様に、ブルーノ・ジャコーザもブドウ畑の取得に迫られ、バルバレスコの畑を知り抜いたブルーノが選んだのはアジリとラバヤでした。1996年のこれらふたつのクリュに先立ち、1982年にバローロの銘醸畑であるファレット・ディ・セラルンガ・ダルバを取得しています。
自社畑から醸造されたワインはラベル上で、生産者名がアジエンダ・アグリコーラ・ファレット・ディ・ブルーノ・ジャコーザ(Azienda Agricola Falletto di Bruno Giacosa)と表示されている一方、購入ブドウからのワインはカーザ・ヴィニコーラ・ブルーノ・ジャコーザ(Casa Vinicola Bruno Giacosa)となっています。同社で生産されるバローロとバルバレスコのうち、約3分の1が自社畑産になっており、単一畑産のバルバレスコにはアジリとラバヤの2つ、バローロにはファレット(Falleto)、レ・ロッケ・デル・ファレット(Le Rocche del Falleto)、ヴィーニャ・クロエラ・ディ・ラ・モッラ(Vigna Croera di La Morra)の3つがあります。
ブルーノ・ジャコーザのカンティーナでは最新の醸造設備を用いていますが、そのワイン醸造は伝統的です。果皮のマセレーションは30日程度まで続き、その後に伝統的な5,500リットルの大樽(ボッテ)で熟成させます。
※ブルーナ・ジャコーザと熟成用大樽
ボッテのオーク材には歴史的にスラヴォニアンオークが使われてきましたが、ワイナリーの新設に伴い、現在はフレンチオークを用いています。白ラベルのバルバレスコは12ヶ月、赤ラベルのリゼルヴァは24ヶ月間ボッテで熟成されます。ワインはバラの香りがする、酸味とタンニンの豊かな、複雑な味わいで、10年に3回程度瓶詰めされる赤ラベルは少なくとも25年は熟成させてから飲まれるべきワインです。個人的に愛してやまないのは、タナロ川に近いアジリの畑のリゼルヴァで、川面を渡る涼風を感じさせる、エレガントなスタイルのバルバレスコです。
バルバレスコの名前がワイン名として初めてラベルに表示されたのは、バルバレスコ協同組合(現在のプロドゥットーリ・デル・バルバレスコ)が設立された1894年のことです。それ以前、バルバレスコは増量剤として、密かにバローロにブレンドされてきました。地球温暖化を背景として、バローロのアルコール度数が年によっては15%に達し、フィネスを失いつつある現在、「ワインの王」はタナロ川に冷やされたバルバレスコの畑から生まれているように思います。