コラム

奇跡の復活を遂げたアイリッシュウイスキーの立役者とは(後編)

コルトンの丘

アイリッシュ復活の狼煙を上げたジョン・ティーリング氏

 かつて200以上の蒸留所がひしめき合い、全盛を誇ったアイリッシュウイスキーが衰退したのが20世紀初頭だったということは、前回この稿で述べた。1916年のイースター蜂起から第一次、第二次世界大戦、そしてアメリカの禁酒法時代(1920~1933年)の影響をもろに受け、1970年代後半には北のブッシュミルズと、南のミドルトンの2つの蒸留所を残すのみとなってしまった。しかも、そのどちらもがアイルランド資本ではなく、フランスのペルノリカール社の所有となっていたのだ。つまり、アイルランドには自国資本のウイスキー蒸留所が1つも残らなかったということになる。
 そのアイリッシュの衰退を嘆き、アイリッシュ復活に向けて狼煙を上げたのが、ダブリン出身のビジネスマン、ジョン・ティーリング氏だった。アメリカのハーバード大のビジネススクールで学んでいたティーリング氏が卒論に選んだテーマが、「なぜアイリッシュは衰退したのか」ということだった。いつか自分の手でアイリッシュ復活を目指したい。チャンスが訪れたのが1987年で、アイルランド共和国政府が国立のケミックトー蒸留所を民間に払い下げると知った時だった。たまたまアジアを仕事で飛び回っている時で、機内でそのニュースを知ったティーリング氏は、すぐに予定を変更して帰国し、その入札に参加。北アイルランドとの国境に近いダンドークにあるその蒸留所の落札に成功した。
 ケミックトー蒸留所はジャガイモなどからアルコールを造る工業用蒸留所だったが、これをモルトウイスキーとグレーンウイスキーを造るウイスキー蒸留所に改良。背後の山脈の名前を取ってクーリー蒸留所と命名した。生産を開始したのが1988年から89年にかけてで、これがブッシュミルズ、ミドルトンに次ぐ、アイリッシュの第3の蒸留所となった。しかも唯一のアイルランド資本の蒸留所である。その後のアイリッシュの復活は、クーリー蒸留所とジョン・ティーリング氏に負うところが大きいが、やがてジョンさんはクーリーをアメリカのジム・ビーム社(現サントリー)に売却。その資金を元に、ダンドークにグレートノーザン蒸留所を創業し、次なるアイリッシュの復活のための狼煙を上げることになる。

ベルファストに新しく誕生した2つのユニークな蒸留所

 今年(2024年)7月に2週間ほどアイルランドに行き、合計16ヵ所の蒸留所を取材して回った。アイルランドを訪れるのはコロナ禍以前の2019年が最後だったから、5年ぶりということになる。現在アイルランド共和国と北アイルランド(どちらもアイリッシュウイスキー)で稼働する蒸留所は50近く。特にここ2~3年に操業開始したところが多く、今回はそうした蒸留所を中心に回ることにした。まず初めに訪れたのが、北アイルランドの首都ベルファストに新しくできた2ヵ所の蒸留所。1つは北ベルファストのマコーネルズ蒸留所で、もう1つが市の中心を流れるラーガン川の河口にあるタイタニック蒸留所である。

※18 世紀の監獄を改造したマコーネルズ蒸留所。

 マコーネルズは18世紀に建てられた古い監獄の獄舎を改造して今年4月にオープンした蒸留所で、まるで網走刑務所を蒸留所に改造したかのよう。歴史的建物で保存が義務付けられているため、新しく建てるよりはるかに時間も費用もかかってしまったという。しかしオープニングには北アイルランド政府の首相や、投資家の一人でもあるアメリカのケネディー家からも、その代表者が駆けつけている。将来のアメリカ大統領とも目されている人物で、いかにマコーネルズが注目を集めているか、このことからも見てとれる。年間10万人の観光客を見込んでいるというから、今後のベルファスト経済の救世主といえる存在かもしれない。

※創業者のジョン・ケリー氏とオープニング式典に集まった著名人たち。北アイルランドの首相と副首相も駆けつけた。


※建物は保存が義務付けられているため生産設備は中央の狭い廊下に並べられた。


※ポットスチルもすべて廊下に。3回蒸留のモルトウイスキーとポットスチルウイスキーを造っている。

 タイタニックはもちろん、あの悲劇の客船といわれたタイタニック号で、実はタイタニック号が建造されたのが、ベルファストのトンプソン・ドライドックだった。1911年に完成した全長300メートル近いトンプソン・ドライドックは当時としては世界最大級で、ここで1912年に建造・竣工したのが、かの有名なタイタニック号だったのである。タイタニック号の沈没事件については何度も映画化され、多くの本も出版されているので、知らない人はいないだろう。『ターミネーター』などで、知られるジェームズ・キャメロン監督が制作・監督した『タイタニック』(1997年公開)は、当時売り出し中の二枚目ハリウッド俳優のレオナルド・ディカプリオを起用し、世界的な大ヒットとなった。セリーヌ・ディオンが歌った主題曲『My Heart Will Go On』もミリオンヒットとなり、彼女を大スターへと押し上げた。間違いなく、世界で最も有名な船がこのタイタニック号であると言っても、過言ではないだろう。そのタイタニック号が建造されたのが、ラーガン川の河口にあるトンプソン・ドックだったのだ。

誕生して間もない蒸留所が製品をリリースできる理由とは

 2023年にオープンしたタイタニック蒸留所が開設されたのは、ドックの入り口の開閉扉(水門)を動かすハイドロシステムの装置と、ドック内の水を排水する巨大なポンプ3基が置かれていたポンプハウスである。

※タイタニック号が建造されたトンプソン・ドライドック。左の建物がドックの心臓部となるポンプハウス。


※ここでは姉妹船のオリンピック号も建造されている。右がタイタニック号で左がオリンピック号。

これは赤レンガ造りの巨大な建物で、まさにドライドックの心臓部ともいえる建物。水門の扉の重さは1000トンで、しかも3台のポンプの排水能力は、1分間に50メートルプール1杯分の水を抜くことができたという。巨大なドック内の海水を抜くのに要した時間は、わずか90分だったというから凄まじい。その使われなくなったポンプハウスは、内部もそっくりそのまま保存されているが(保存が義務づけられている)、その建物内のハイドロシステムやポンプが並んでいる空間に、まるで寄生するかのような形で、マッシュタン(糖化槽)やウォッシュバック(発酵槽)、そしてモルトウイスキーやポットスチルウイスキーを造る、小さなスチル3基が並んでいるのだ。

※3回蒸留のモルトウイスキーとポットスチルウイスキーを造る小型のスチルが3基。


※地下にはドックの海水を抜いた巨大なポンプが3基、当時のままに保存されている。

 マコーネルズもタイタニックも、ベルファストに100年ぶりに誕生した蒸留所で、観光や地域経済のためにも期待されていて、行政機関から手厚い保護を受けているが、生産そのものの規模は大きくない。どちらも建物の制約を受けているためで、モルトウイスキーの生産規模は年間多くても、10万リットル規模(100%アルコール換算)。かつてベルファストにあったロイヤルアイリッシュやクロマック蒸留所が、その規模300から400万リットルだったのと比べると、まさにクラフト規模の蒸留所といっていいだろう。しかし、どちらも実際に訪れて驚くのは、そのビジターセンターの大きさと、ショップの品揃えの多さである。
 どちらもすでにマコーネルズやタイタニックブランドのウイスキー、シングルモルトやブレンデッドを出していて、マコーネルズは私たちが主催している「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)」にも、すでに製品をエントリーし、賞も得ている。アイリッシュには木樽に入れて3年間熟成というレギュレーションがあるが、どちらも生産開始して3年未満。マコーネルズにいたっては、この4月に初蒸留が行われたばかりだ。だとすると、それぞれのウイスキーの中身は何なのだろうか。それでも「アイリッシュウイスキー」と名乗れているのは、どうしてなのか。
 それを可能にしているのが、冒頭で紹介したジョン・ティーリング氏と、グレートノーザン蒸留所なのである。

年間生産量1800万リットル、そのすべては他社の原酒用に出荷

 グレートノーザン蒸留所はクーリー蒸留所をビーム社に売った後の2016年に、ジョンさんがオープンした蒸留所である。もともとギネスのラガービールの醸造所だった巨大な施設を居抜きで買ったもので、ここにグレーンウイスキーを造る巨大な連続式蒸留機を導入し、まず始めにグレーンウイスキー造りから始めた。目的はその頃急速に増えてきたアイリッシュのクラフト蒸留所にグレーン原酒を供給すること。ブレンデッドに欠かせないグレーンウイスキーは、モルトと違って巨大な設備が必要になる。モルトウイスキーは造れても、グレーンは造れないというところがほとんどだ。しかし、長年のライバルであるスコッチに対抗するためには、アイリッシュのブレンデッドは不可欠。そのためのグレーンウイスキーを供給しようというのがグレートノーザンの目的だった。

※ギネスのかつてのビール工場を改造して蒸留所にした。

 さらにその2年後の2018年からはモルトウイスキーやポットスチルウイスキーも生産。当初ビールの銅製煮沸釜をスチルに改造していたが、それでは需要に供給が追いつかず、2023年前に新しくポットスチル6基を追加して現在は9基となっている。それらのグレーンウイスキーとモルトウイスキー、ポットスチルウイスキーの合計は年間で約1800万リットル。これはミドルトンに次ぐ規模で、アイリッシュ第2位の巨大蒸留所に成長している。もちろん、そのどれもが他社のブランド用で、それだけの生産量がありながら、自社ブランドは1つも出していない。すべては他社のブランドのために原酒を造り、それを供給する。

※ビールの煮沸釜を改造したスチル。右にあるのがグレーンウイスキーを造る連続式蒸留機。

 先のマコーネルズも、もちろん原酒はすべてグレートノーザン製で、すでに約1万6000樽を所有しているのだとか。操業開始以前から、自社のブランドを製品として出すことができるのも、すべてはグレートノーザンと、ジョン・ティーリングさんのおかげなのである。アイリッシュの奇跡的な復活、“アイリッシュルネッサンス”は、まさにジョン・ティーリングさんなしには考えられないのである。