コラム

賃借耕作と折半耕作

コルトンの丘

ブルゴーニュでは、ほぼ同一のワインが瓶詰めされているにもかかわらず、ラベルが異なるというだけで、流通価格が半額程度となっているボトルが少ないながらも存在します。

畑の細分化

 フランス革命以前、ブルゴーニュの畑を所有していたのは教会と貴族たちでした。記録に現れる教会のブドウ畑の所有は、587年にクローヴィスの孫にあたるグントラムがディジョンのサン・ベニグヌス修道院に畑を寄進したことに始まり、630年には下ブルゴーニュ公国の君主がジュヴレ・シャンベルタンやヴォーヌ・ロマネ、ボーヌの畑をベーズ修道院に寄進しています。サン・ヴィヴァン修道院は1232年、ブルゴーニュ大公女から現在のロマネ・コンティやラ・ロマネ、ラ・ターシュやリシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァンにあたる畑を下賜されました。シトー派修道会が12~14世紀にかけて開墾した50ヘクタールに及ぶクロ・ド・ヴージョからも分かる通り、この時代の畑は比較的規模が大きく、単一の所有者によって所有・管理されていたようです。
中世を通じて、ブルゴーニュのブドウ畑のほとんどは教会や貴族によって所有されていたのですが、1789年に起こったフランス革命はこの状況を一変させます。革命によって没収された教会や貴族の畑は1791年から公売に付されるのですが、買い手であった市民には十分な資金がなかったため、畑は分割して競売にかけられるようになります。また、1804年に公布されたナポレオン法典が、長子相続制ではなく均等相続制を強いたため、これ以降、時代が下がれば下がるほどブドウ畑は細分化されていき、50ヘクタールのクロ・ド・ヴージョを80人以上が分割所有する現在の状況へと発展します。

畑の借地契約

時代が下がるにつれ、こうした均等相続制によって猫の額のように細分化された畑の収益のみでは相続人が生活できなくなると、畑を他のブドウ栽培者兼ワイン生産者(ドメーヌ)に貸し出す一方、相続人は他の職業に就くことが一般化します。ブルゴーニュで広く行われているブドウ畑の借地契約には、フェルマージュと呼ばれる賃借耕作と、メタヤージュと呼ばれる折半耕作の二種類があります。フェルマージュにおいては、耕作に掛かる費用はすべて借地人の負担となりますが、地主に現金で借地料を払えば、収穫したブドウはすべて借地人のものとなります。一方、ブルゴーニュ固有のメタヤージュはやや複雑で、ブドウ畑の資産(ブドウ樹の植え替えや支柱、ワイヤーなど)に関わる費用は地主負担となるものの、通常、収穫の半分を地代として受け取ります。この地代は、双方の話し合いにより、ブドウで受け取ったり、樽に入った状態のワインで受け取ったり、瓶詰めされた完成品の状態で受け取ったりすることが可能で、なかにはワインの販売までも借地人に任せ、現金だけを受け取る地主もいます。社会主義的な色彩の強いフランスでは、小作人の権利が法律で厳重に守られており、こうした畑の貸借は通常9年契約ですが、小作人が引退するまで契約を自動継続できます。現在、ブルゴーニュの全ブドウ畑面積のうち、3分の1程度がこうした借地契約によって耕作されていると考えられており、ブドウ畑の流動性を高めることができない最大の要因となっています。
2006年9月、前立腺ガンにより84歳で亡くなったブルゴーニュの精神的指導者、アンリ・ジャイエが行っていたのはメタヤージュで、林業に従事する兄のジョルジュ・ジャイエが相続した分のエシェゾーの区画を借り上げて折半耕作し、出来上がったワインの一部を借地料としてジョルジュ・ジャイエに払っていました。こうしてジョルジュ・ジャイエに渡ったボトルは一見、アンリ・ジャイエのエシェゾーと区別がつかないのですが、通常、ジョルジュ・ジャイエのラベルのボトルはアンリ・ジャイエのラベルの半額程度で取引されています。一般論として、折半耕作によって醸造されたワインのうち、どの樽を借地料として地主に渡すかを決めるのは借地人で、このため、借地人は最上の樽を手元に残すといわれています。

具体例

 現在も続いているフェルマージュ(賃借耕作)の代表例としては、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)社がドメーヌ・プランス・フローレン・ド・メロードから賃借して醸造しているコルトン(赤)や、やはりDRCがドメーヌ・ボノー・デュ・マルトレイから借りているコルトン・シャルルマーニュが挙げられます。ブルゴーニュの白を代表する生産者であるドメーヌ・コシュ=デュリの最上位銘柄はコルトン・シャルルマーニュですが、この区画は1986年から2011年ヴィンテージまでフェルマージュで栽培と醸造が行われ、2012年になって初めてコシュ=デュリが取得しました。ニュイ・サン・ジョルジュを代表するドメーヌのひとつであるロベール・シュヴィヨンの最上位銘柄のひとつに一級畑のレ・サン・ジョルジュがありますが、この区画は現在も賃借耕作によって醸造されています。フェルマージュによって収穫されたブドウは、そのすべてを小作人が販売できるため、市場が活況を呈している現在においては、借地人に有利な契約となっています。
 一方、現在も続いているメタヤージュ(折半耕作)の例としては、アンリ・ジャイエから契約を引き継いだエマニュエル・ルジェがジョルジュ・ジャイエ家の所有する区画から醸造するエシェゾーや、ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエのクリストフ・ルーミエが区画所有者のジャン=ピエール・マチューから借りて耕作と醸造を行っているシャルム・シャンベルタン・オー・マゾワイエール、やはりクリストフ・ルーミエがミシェル・ボンヌフォンから借りて醸造しているリュショット・シャンベルタンなどがあります。通常、地代として畑所有者に渡されたボトルには醸造を行った生産者名が表示されず、こうした畑所有者の名前は一般には認知されていないため、ほぼ同じワインであるにも関わらず、比較的安価で購入可能です。

写真: 
1) Romanée-Saint-Vivant 1971 Domaine Marey-Monge
1966年から1988年ヴィンテージまで、DRCはドメーヌ・マレイ=モンジュのロマネ・サン・ヴィヴァンの区画を折半耕作していた。その後、この区画はDRCが購入。
2) Romanée-Saint-Vivant 1988 Domaine de la Romanée-Conti
マレイ=モンジュが所有していた区画から折半耕作で醸造されたDRCロマネ・サン・ヴィヴァン。ラベル中央に"MAREY-MONGE"と表示されている。
3) Charmes-Chambertin Aux Mazoyères 2009 Jean-Pierre Mathieu
ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエのクリストフ・ルーミエが区画所有者のジャン=ピエール・マチューから借りて耕作と醸造を行っているシャルム・シャンベルタン・オー・マゾワイエールの、地代としてマチューに渡されたボトル。
4) Charmes-Chambertin Aux Mazoyères 2019 Christophe Roumier
ジャン・ピエール・マチューが所有する区画から醸造したワインを、クリストフ・ルーミエ名義で販売しているボトル