コラム

アンボネイ – シャンパーニュにおけるピノ・ノワールの聖地

コルトンの丘

ランス(Reims)とエペルネ(Épernay)のメゾンが隆盛する前の、シャンパーニュのワインがまだ非発泡性であった時代、アイ(Aÿ)はこの地方のワイン生産の中心でした。このためAÿの名は形容詞的に、他の村名にもよく用いられており、Épernay は「アイを通り過ぎたところ」程度の意味ですし、マルイユ・シュール・アイ(Mareuil-sur-Aÿ)やフォンテーヌ・シュール・アイ(Fontaine-sur-Aÿ)はアイ村の上流に所在することを示しています。ランスから南に旅してきて、「アイの手前」でたどり着くのがアンボネイ(Ambonnay)です。

 

アンボネイ

 歴史的にシャンパン用ブドウ栽培の中心とされてきたのは、マルヌ県のモンターニュ・ド・ランス(ランスの山)とヴァレ・ド・ラ・マルヌ(マルヌ渓谷)、コート・デ・ブラン(白の丘)の3地区です。コート・デ・ブランでは白ブドウのシャルドネがほぼ独占的に栽培されているのに対し、モンターニュ・ド・ランスとヴァレ・ド・ラ・マルヌでは黒ブドウが主体になっています。地図中、ランスの下の緑色にハイライトされている部分がモンターニュ・ド・ランス地区で、アンボネイ村はその南端にあります。

※シャンパーニュ中心部(Wikipediaから一部抜粋)

 アンボネイのブドウ畑は南向き斜面にあり、シャンパーニュ地方としては豊富な日照に恵まれているため、シャンパン用主要品種のなかで最も生長の遅いピノ・ノワールの栽培に適しています。実際、アンボネイでは387ヘクタール(ha)でブドウが栽培されていますが、81%をピノ・ノワールが占めており、19%にシャルドネが植えられています。シャンパン用ブドウを取引する価格指標として1927年に始まったシャンパーニュの公式な格付け「エシェル・デ・クリュ」(産地の階級)では、この地方の324村が序列付けされているのですが、アンボネイは17しかない最上位の100%グラン・クリュに認定されています。
 アンボネイ産シャンパンの最大の特徴は、標高の高い南向きの畑のピノ・ノワールに由来する熟れた果実味で、良作年にエグリ=ウーリエがリリースするコトー・シャンプノワの赤などは、ブルゴーニュのグラン・クリュに匹敵する重厚な酒質をもっています。同じモンターニュ・ド・ランス地区でも、北向き斜面で栽培されているマイィやヴェルズネイのシャンパンは涼しさを感じさせる味わいで、マイィの協同組合が醸造するコトー・シャンプノワの赤は色が薄めのエレガントなスタイルです。一方、同じ南向き斜面でも、マルヌ川やマルヌ運河の照り返しを受けるアイやマルイユ・シュール・アイの一部の畑で、ピノ・ノワールを主体として醸造されたシャンパンは、ともすれば過度に重厚になりがちなのですが、マルヌ川の影響をさほど受けないアンボネイのものはよりバランスが取れていて、洗練されているように感じます。
 アンボネイの著名なブドウ畑としてはエグリ=ウーリエやエリック・ロデズが醸造するレ・クレイエール、クリュッグ社が所有するクロ・ダンボネイ、ジャック・セロスのル・ブー・デュ・クロなどがあり、この村に本拠を置く生産者としてはエグリ=ウーリエやエリック・ロデズ、ポール・デテュンヌやマルゲなどがよく知られています。

 

エリック・ロデズ

 アンボネイ村の人口は1,000人弱なのですが、その住民を束ねる村長をしているのがエリック・ロデズです。フランシス・エグリがやや気難しい印象を与える芸術家タイプの醸造家なのに対し、エリック・ロデズは哲学者然とした人物で、ワインの味わいを語り始めると言葉が止まりません。ロデズ家は3世紀にわたってアンボネイ村でブドウを栽培してきた農家で、エリック・ロデズは8代目として1982年にこのドメーヌを引き継ぎました。

※ドメーヌ・エリック・ロデズ

※バレル・ルームで試飲するエリック・ロデズ

エリック・ロデズはアンセルム・セロスと同様に、ボーヌ醸造学校でブドウ栽培やワイン醸造を学んだ後、ペルナン・ヴェルジュレスのドメーヌ・ラペやボージョレ、ローヌやシャンパーニュのセラーで経験を積みました。実家のドメーヌを継承するまでの最後の1年はアンリ・クリュッグの下で、クリュッグ社のチーフ・エノロジストとして働いていたため、エリック・ロデズのシャンパンには樽使いやブレンドの点で、クリュッグの影響が色濃く感じられます。
ドメーヌ・エリック・ロデズは、アンボネイ村の南南東向きの斜面の中腹に35区画に及ぶ、合計6haの畑を所有していますが、栽培比率はピノ・ノワール55%とシャルドネ45%で、この村としてはシャルドネの比率が高くなっています。ブドウ樹の平均樹齢は35年ほどですが、70年を超える高樹齢の区画もあります。1989年以降、エリック・ロデズは有機栽培およびバイオダイナミクスを実践するようになり、除草剤や化学肥料の使用をやめています。
収穫したブドウは区画ごと、品種ごとに醸造を行い、60種超の原酒をつくります。ワインの80%はオーク樽でアルコール発酵を行いますが、新樽の使用は避けています。マロラクティック発酵(MLF)を実施した原酒と、回避した原酒をブレンドすることによって酸のバランスを取りながら、複雑味も追求します。
ドメーヌ・エリック・ロデズで醸造されているシャンパンの最上位に位置するのはアンプランテ・ド・テロワール(empreinte は「足跡」の意)のシリーズで、Noire(ノワール = ピノ・ノワール)とBlanche(ブランシュ = シャルドネ)の2種類からなるヴィンテージ物です。いずれもアンボネイに所有する5~7区画の最上のブドウを用いて、アルコール発酵をオークの小樽で行う一方、MLFは回避し、ボトル内2次発酵後はシュール・リーの状態で10年間熟成させます。ドザージュは1リットルあたり2.5~5グラムと少ないのですが、ワインには長いシュール・リー熟成に由来する深みが付与されているのと、アンボネイの南向き斜面の畑の暖かみが反映されていて、減酸を伴うMLFが回避されているにもかかわらず、過度にシャープな感じは受けません。
アンプランテ・ド・テロワールが個性の際立ったシャンパンであるのに対し、個人的に愛してやまないのはアンプランテの半額程度で購入可能なキュヴェ・デ・グラン・ヴァンタージュです。こちらは複数の良作年の原酒をブレンドしているもので、現在流通しているボトルは1998、1999、2000、2004、2005年ヴィンテージがブレンドされています。ブドウ品種はピノ・ノワール70%とシャルドネ30%で、100%オークの小樽でアルコール発酵が行われ、5%のシャルドネにだけMLFが実施されています。シャルドネがブレンドされていることでフレッシュな酸が付与され、重すぎない、何杯でも飲み続けられる濃厚なシャンパンとなっています。

※ドメーヌ・エグリ=ウーリエ

エグリ=ウーリエ

 ドメーヌ・エグリ=ウーリエはアンボネイ村のみならず、シャンパーニュ全体を代表する生産者のひとつで、現当主のフランシス・エグリは1980年代に父親のミシェルからドメーヌを継承した4代目です。フランシスが引き継ぐまでドメーヌはほぼ無名だったのですが、彼が行った数々の生産上の改革によって、クリュッグやサロン、ジャック・セロスと並び称される生産者となりました。特にアンセルム・セロスと同時期に世に出たことから、ブラン・ド・ブランのセロスとブラン・ド・ノワールのエグリをもって、レコルタン・マニピュラン(RM)の二大巨頭とされています。
 ドメーヌ・エグリ=ウーリエは100%グラン・クリュのアンボネイに7.7 ha、ヴェルズネイに1.7 ha、ブージィに0.3 ha、そしてプルミエ・クリュ(90%)のヴリニー村に2 haと、計11.7haのブドウ畑を所有しています。フランシス・エグリが畑で行った改革のひとつは有機栽培の手法を用いたもので、表土を耕起することによって除草剤の使用をやめ、殺虫剤の代わりに性攪乱ホルモン・カプセルを用いることでした。また、もっとも重要な改革は1本のブドウ樹に結実する房数を減らして、健全に熟したブドウを収穫することでした。
 手摘みで収穫したブドウは、ザル状になったプラスチック製の小箱に入れてドメーヌへ運ばれ、コカール社製の最新式プレス機で4時間かけてゆっくりと全房搾汁されます。シャンパン醸造では伝統的に垂直型のプレス機が使われてきたのですが、コカール社製のものは水平方向に圧搾するシステムで、プレス機の下部から重力で搾りかすを搬出できるため、作業性に優れています。
 アルコール発酵に用いるのは、ドミニク・ローランから購入した228リットルのフレンチオークの小樽や、ステンレスおよび琺瑯引きのタンクで、培養酵母を加えず、自然発生的に発酵させます。MLFを行うかどうかについての原則はなく、「搾汁した果汁の、酸の量や構成を見て決める」としています。

※コカール社製プレス機

 醸造上、フランシス・エグリがもっとも重要と考えているのは、瓶内2次発酵後の長期間にわたるシュール・リー熟成で、これがシャンパンに骨格や複雑味を与えるとしています。実際、ドメーヌ・エグリ=ウーリエのシャンパンの多くは48ヶ月を超えるシュール・リー熟成を経ていますし、キュヴェによっては100ヶ月を超えるものもあります。長い熟成によって豊かな香味がすでに付与されているため、ドザージュによって味わいのバランスを取る必要があまりなく、加えられているのは1リットルあたり2~5グラムだけです。

 ドメーヌ・エグリ=ウーリエを代表する銘柄として真っ先に挙げられるのはエグリ=ウーリエ ブラン・ド・ノワール レ・クレイエール ヴィエイユ・ヴィーニュで、アンボネイを代表する銘醸畑であるレ・クレイエールの、1946年に植樹された区画のピノ・ノワールから醸造されています。ドメーヌで試飲した、2021年9月にデゴルジュマンが行われたボトルは、良作年であった2016年ヴィンテージ60%に、やはり良作年である2015年ヴィンテージのリザーヴワインが40%ブレンドされていました。アルコール発酵をフレンチオークの小樽(10%新樽)で行い、MLFを回避しながら、72ヶ月間のシュール・リー熟成が行われ、ドザージュは1リットルあたり1グラムという少なさです。100%黒ブドウに由来する、リリースされたばかりのシャンパンとしてはやや濃いめの色調で、長期のシュール・リー熟成に由来する酵母の好ましい芳香、熟れたリンゴとプラリネの香りが混在しています。酸はシャンパンとしてはやや穏やかで、濃厚で凝縮感のある、フル・ボディのワインとなっており、後味に鉱物的なニュアンスが残ります。
 かつてはブラン・ド・ノワール レ・クレイエール ヴィエイユ・ヴィーニュが最上位のアイテムだったのですが、2008年ヴィンテージがワイン・アドヴォケートで100点満点に評価された前後から、ミレジメが驚異的な価格で流通するようになりました。wine-searcher.comで検索すると、2008年は世界的に12万円超で小売りされており、最新ヴィンテージの2014年も1本7万円以上で販売されています。ミレジメはアンボネイ村の高樹齢のブドウ樹から醸造され、2014年ヴィンテージの場合は70%のピノ・ノワールに30%のシャルドネがブレンドされています。96ヶ月間のシュール・リー熟成を経て、1リットルあたり2グラムのドザージュが施されています。香りはブラン・ド・ノワール レ・クレイエール ヴィエイユ・ヴィーニュよりも青りんごのニュアンスが強く感じられ、シャルドネが30%ブレンドされていることでフレッシュな味わいに仕上がっており、個人的にはこちらの方が好みです。
 
※ドメーヌ・エグリ=ウーリエのバレル・ルーム 

 現在進行している地球温暖化がかまびすしく語られるようになる以前、アンボネイのブラン・ド・ノワールは私がもっとも好きなシャンパンでした。しかしながらピノ・ノワールが毎年毎年完熟するようになった現在、ヴィンテージによっては重すぎると感じることがあります。こうした、かつてのアンボネイのブラン・ド・ノワールの飲み手は将来的に、10~30%程度シャルドネがブレンドされた、フレッシュ感のある、バランスの取れたシャンパンに移行していくのではないかと思います。

※フランシス・エグリと娘のクレマンス