コラム

アンセルム・セロス – シャンパン・ボーイズの原点

コルトンの丘

シャンパン生産者としてのジャック・セロス社について日本語で最初に書かれた記事はおそらく、私が1990年代後半に集英社のマンガのコラムに書いたもののようです。そのコラムは「『アンファン・テリーブル』(恐るべき子供)とは、フランスの伝統的なワイン生産者が、突然現われた若く革新的な生産者を蔑むときに使う言葉で、プイイ・フュメのディディエ・ダギュノーやサンテミリオンのジャン=リュック・テュヌヴァンらが代表的な例だが、シャンパーニュではアンセルム・セロスがこれにあたる」という文章に始まり、「そのシャンパンには強烈なオークの香りと樽熟成に由来する酸化のニュアンスがみつかり、伝統的な生産者からは『シャンパーニュらしさがない』と非難されているが、米国のジャーナリストの間では『スパークリング・コルトン・シャルルマーニュ』と賞賛されている」で終わります。この文章を輸入業者がそのままカタログに掲載したようで、ワインショップのサイト等でいまだに広く使われていることに驚きます。
 

レコルタン・マニピュラン

 私が東京で大学生活を送っていた1980年代、日本に輸入されていたシャンパンのほとんどはモエ・エ・シャンドンやポメリーといったネゴシアン・マニピュラン(NM)物で、ブドウ栽培から醸造までを一貫して行うレコルタン・マニピュラン(RM)は、中小のワイン輸入業者が扱っていたポール・バラなど2~3銘柄しかありませんでした。当時、RMの生産するシャンパンは総じて質が劣り、こうした輸入業者は主要なネゴシアンが取引をしてくれないので、やむなくRMやコーペラティヴ・ド・マニピュラシオン(CM=協同組合)のワインを扱っているような状況でした。シャンパンの売上低迷により、収穫するブドウの一部または全部をネゴシアンが購入してくれなくなった年に、栽培農家がやむなく自分たちで醸造したというのが、当時のRM産シャンパンの実態でした。
近年ではRMの隆盛が広く語られていますが、シャンパーニュ委員会が発表した図表1のシェアに現れているように、実際の出荷ベースではRM (Vignerons) のシェアが減り、逆にネゴシアン (Maisons) のシェアが上昇しています。この背景にあるのは原料ブドウの高騰で、RMが生産や販売まで行うよりも、ブドウを売るだけの方が儲かるようになっているからです。つまるところRM産のシャンパンは、過剰生産された原料ブドウの調節弁として機能しており、ネゴシアンによるブドウの買い取り価格が上がればRMのシャンパン生産量は減り、ブドウの価格が下がればRMのシャンパン生産量が増える構造になっています。こうした状況に風穴を開けたのが、ジャック・セロスとエグリ=ウーリエでした。
図表1シャンパンの生産者カテゴリー別数量出荷シェア 1999-2022
(出典:American Association of Wine Economists)
 

ドメーヌ・ジャック・セロス

 ドメーヌ・ジャック・セロスは家族経営の、年間生産量57,000本程度のRMで、シャンパーニュ中心部の南部、シャルドネの銘醸地として知られるコート・デ・ブラン地区のアヴィズ村にあります。ドメーヌでは8.3ヘクタール(ha)の畑を耕作し、所有畑はアヴィズ、クラマン、オジェ、ル・メニル・シュール・オジェ、アイ、マレイユ・シュール・アイ、アンボネイの各村に広がっています。所有畑のほとんどは、1927年に始まったシャンパーニュの公式な格付け「エシェル・デ・クリュ」(産地の階級)で100%グラン・クリュに格付けされた村々にあり、マレイユ・シュール・アイだけが99%格付けのプルミエ・クリュです。創業者であるジャック・セロスは1947年にアヴィズ村にブドウ畑を購入し、収穫したブドウをルイ・ロデレールやランソンといったネゴシアンに供給するかたわら、一部のブドウを使って1964年にシャンパンの生産を始めました。
 ジャックの息子のアンセルムは1952年生まれで、ボーヌ醸造学校でブドウ栽培やワイン醸造を学びました。ドメーヌ・ルフレーヴやコシュ=デュリ、コント・ラフォンでブルゴーニュワインの栽培・醸造を研修し、1974年にドメーヌ・ジャック・セロスに参画、その後1980年になって公式に家業を継承します。
写真2 : アヴィズの村全景
 

栽培と醸造

 ドメーヌ・ジャック・セロスが耕作する8.3haの畑のうち、7.3haにシャルドネが、1haにピノ・ノワールが植えられています。畑は54区画に分かれており、平均樹齢は55年を超えています。栽培しているのは70,000本のシャルドネと9,500本のピノ・ノワールです。
アンセルムは1990年代前半に有機農法に目覚め、その後1996年からはバイオダイナミクスに傾倒するようになりましたが、同農法の教条主義的な手法に嫌気がさし、2002年にはバイオダイナミクスと距離を置くようになりました。彼は福岡正信(1913-2008)の『自然農法 わら一本の革命』を読んで感銘を受け、自然農法を志向するようになります。
アンセルムがブルゴーニュのトップ・ドメーヌで研修したことが、今日のドメーヌ・ジャック・セロスのシャンパンの味わいに大きな影響を与えており、ブルゴーニュと同様に一次発酵を、新樽を含む228リットルのフレンチオークの小樽で培養酵母を加えずに自然発生的に行い、更にこれを6ヶ月間樽熟成させています。
リキュール・ド・ティラージュ(仕込みのリキュール)に用いるボトル内二次発酵用の酵母についても、ドメーヌで分離した酵母を培養して用いています。ドザージュに用いる糖は一般的なショ糖やてんさい糖ではなく、MCR(moût concentré rectifié=ブドウの濃縮果汁)を用いています。MCRを使うシャンパーニュの醸造責任者に「なぜMCRを使うのですか」と質問すると、「その方が味わいに深みが出るから」と答えることが多いのですが、アンセルム・セロスは「ブドウからつくられるシャンパンには、ブドウ果汁を使った方が自然だから」と答えました。
写真3 : アンセルム・セロス

写真4 : シュプスタンスのソレラに用いられているタンク

ワイン

 5,000ケースに満たない生産量ながら、ドメーヌ・ジャック・セロスでは様々な種類のシャンパンが生産されています。イニシャル(Initial)とV.O.(Version Originale=ヴァージョン・オリジナル)は酒齢がもっとも若い段階で出荷されるシャルドネ100%のブラン・ド・ブランで、アヴィズとクラマン、オジェ村の畑のうち、斜面上部のブドウがV.O.に使われる一方、イニシャルには斜面下部のものが用いられています。どちらも二次発酵後、5~6年のシュール・ラット熟成を経て出荷されています。やや濃いめの色調を呈したロゼはV.O.に、ドメーヌ・エグリ=ウーリエから供給されるピノ・ノワールの赤ワインを7~8%ブレンドしたものです。
 ドメーヌ・ジャック・セロスを代表するシャンパンは、ソレラ・システムを使ってブレンドが行われているシュブスタンス(Substance=「本質」の意味)です。アヴィズ村のレ・シャントレンヌとレ・マルヴィランヌの畑のシャルドネが用いられたブラン・ド・ブランで、1986年以降のすべてのヴィンテージが含まれています。出荷から10年以上ボトル熟成されたシュブスタンスは鉱物的なニュアンスを帯び、混然一体となった味わいはシャンパンとして唯一無二のものです。
 シュブスタンスがワイン批評家からもっとも高い評価を受ける一方、現在もっとも高額で取引されているのは、ドメーヌとして唯一ヴィンテージ表示をしているミレジムです。この原稿執筆時点(2024年4月)でwine-searcher.comを検索してみると、2008年ヴィンテージの世界平均小売価格は54万円(750ml)となっています。2009年ヴィンテージまでは、アヴィズ村のレ・シャントレンヌとレ・マラドリ・デュ・ミディの畑のシャルドネから醸造されており、濃厚な味わいの一方、ヴィンテージによっては酸化のニュアンスが強すぎることがあり、好みの分かれるところです。アンセルムの息子のギョームがリリースした2010年ヴィンテージはシャルドネ100%のブラン・ド・ブランではなく、ピノ・ノワールがブレンドされています。
 ブドウ畑の個性を反映することに注力してきたアンセルム・セロスが2010年に世に問うたのは、6種類の単一畑産のシャンパンでした。これはリューディ・シリーズと呼ばれ、ワイン用語としての「リューディ」は「区画」程度の意味です。実際、それぞれのシャンパンは区画名で呼ばれ、ル・メニル・シュール・オジェ村の「レ・キャレル」(シャルドネ100%)、クラマン村の「シュマン・ド・シャロン」(シャルドネ100%)、アヴィズ村の「レ・シャントレンヌ」(シャルドネ100%)、アイ村の「ラ・コート・ファロン」(ピノ・ノワール100%)、マルイユ・シュール・アイ村の「スー・ル・モン」(ピノ・ノワール100%)、そしてアンボネイ村の「ル・ブー・デュ・クロ」(ピノ・ノワール80%とシャルドネ20%)の6アイテムです。
 リューディ・シリーズには、シャンパーニュ地方でレゼルヴ・ペルペチュエル(réserve perpétuelle=「永久保存」の意味)と呼ばれるブレンド方法がとられており、複数年のベースワインを、6アイテムそれぞれの1,800リットルの大樽に継ぎ足しています。複数の容器で段階的にブレンドが行われていくシュブスタンスのソレラ・システムと異なり、レゼルヴ・ペルペチュエルは最後に継ぎ足された最新ヴィンテージの特徴が出やすいとされています。リューディ・シリーズのうち4アイテムの年間生産量は2,800本ですが、「シュマン・ド・シャロン」と「レ・シャントレンヌ」は600本と少なく、6アイテムのアソートメント(セット売り)である「リューディ・コレクション」でしか購入できない稀覯品です。
 6種のリューディ・シリーズのなかでも、特に際立っているのがアイ村のピノ・ノワールから醸造される「ラ・コート・ファロン」で、このキュヴェはかつて「コントラスト」(Contraste=「対比」の意味)と呼ばれていました。これはアンセルム・セロスが一番最初に製品化したリューディで、レゼルヴ・ペルペチュエルは1994年ヴィンテージから続いています。ワインは、アイ村の急峻な南向き斜面で栽培されたピノ・ノワールの個性を反映した、濃厚な黄金色で、シャンパンとしては酸味が穏やかな、繋ぎ目のない芳醇な味わいです。
写真5 : レ・シャントレンヌの畑(アヴィズ)

写真6 : ホテル・レザヴィゼの部屋
 
 
 2018年の収穫後、アンセルム・セロスは引退を表明し、ドメーヌの代表を息子のギョームに譲りました。しかしながら、アンリ・ジャイエが2001年の完全な引退後もエマニュエル・ルジェのサポートをしていたように、アンセルムは72歳となった現在も畑やセラーで働いています。ギョームの醸造したシャンパンを試飲する機会があったのですが、アンセルムのものと遜色ない出来で、ドメーヌ・ジャック・セロスの栄光の日々が今後も続くことに疑いの余地はありません。

図表1 シャンパンの生産者カテゴリー別数量出荷シェア 1999-2022
(出典:American Association of Wine Economists)

写真1 : ドメーヌ・ジャック・セロス(右奥に見えるのはドメーヌが経営するホテル・レザヴィゼ)
写真2 : アヴィズの村全景
写真3 : アンセルム・セロス
写真4 : シュプスタンスのソレラに用いられているタンク
写真5 : レ・シャントレンヌの畑(アヴィズ)
写真6 : ホテル・レザヴィゼの部屋